第六番札所 安楽寺 (上板町)

安楽寺(あんらくじ)は徳島県板野郡上板町にある高野山真言宗の寺院。四国八十八箇所霊場の第六番札所。温泉山(おんせんざん)瑠璃光院(るりこういん)と号する。本尊は薬師如来。宿坊のラジウム鉱泉入りの薬湯も有名である。

本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

ご詠歌:かりの世に 知行争う むやくなり 安楽国の 守護をのぞめよ

寺伝によれば弘仁6年(815年)に現在地よりおよそ2km離れた安楽寺谷に、空海(弘法大師)が堂宇を建立し薬師如来を刻んで本尊としたという。

天正年間(1573年 - 1592年)に長宗我部元親の兵火により焼失。万治年間(1658年 - 1661年)に駅路寺であった瑞運寺を併合して現在地に再建される。

逆松(さかまつ) - 修行中の空海を猟師が猪と間違って矢で射たが、矢は松に刺さって事なきを得た。そこで空海は射抜かれて折れた松を逆さに植え、この松が栄えたならこの地を訪れたものは厄災を免れるだろうと予言したという。

願い棒:修行大師像の前に置かれた願い棒を年齢の数だけ持ち経を唱えて像の周りを巡り願を懸ける。
四国八十八箇所モデルトイレ - 霊場の雰囲気にあったつくりで1998年に設置されたもので、四国霊場の雰囲気を壊さない外観でバリアフリーにも配慮されている。

竜宮門型の鐘楼門を入ると右に手水鉢が置かれ、左側には回遊式日本庭園があって、池の奥に多宝塔が建つ。正面奥に本堂が建ち、その右手に大師堂、左側に観音堂がある。本堂付近に修行大師像と願い棒が、多宝塔の近くに逆松がある。

国登録有形文化財(建造物)
安楽寺方丈-入母屋造茅葺(一部、本瓦葺)の方丈。江戸後期の建造。方丈内部の上段の間は、藩主の座所と伝えられている。平成21年(2009年)国の登録有形文化財に登録された。

第五番札所 地蔵寺 (板野町)

地蔵寺(じぞうじ)は徳島県板野郡板野町にある真言宗御室派の寺院。四国八十八箇所霊場の第五番札所。無尽山(むじんざん)荘厳院(しょうごんいん)と号する。本尊は勝軍地蔵菩薩。勝軍地蔵菩薩は甲冑(かっちゅう)を身にまとい馬にまたがる姿をしており、八十八箇所中で勝軍地蔵を本尊としているのは本寺だけである。

本尊真言:おん かかかびさんまえい そわか

ご詠歌:六道の 能化の地蔵 大菩薩 導き給え この世のちの世

寺伝によれば弘仁12年(821年)、嵯峨天皇の勅願により空海(弘法大師)が自ら1寸8分(約5.5cm)の勝軍地蔵菩薩を刻み、本尊として開創したと伝えられる。

嵯峨・淳和・仁明の3代の天皇の帰依が篤かった。熊野権現の導師であった函上人が、権現の霊木に2尺7寸(約80cm)の延命地蔵尊を刻み、大師が刻んだ地蔵菩薩を胎内に納めたという。

本尊が勝軍地蔵というところから源義経などの武将の信仰も厚くかった。当時は伽藍の規模も壮大で26の塔頭と、阿波・讃岐・伊予の3国で300あまりの末寺を持ったという。しかし、天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火によりすべて焼失。江戸時代、徳島藩主蜂須賀氏により再建された。

山門を入って行くと右に大銀杏がありその先で石畳が交差している。左に進むと左手に手水鉢があり、正面奥に本堂が建つ。その右手には不動堂・恵比須堂があり、石畳を戻ると手水鉢の向かいに水琴窟のある水子地蔵尊がある。大師堂は本堂に向かい合わの位置にある。大師堂の右に淡島堂がある。納経所は山門の正面にある庫裏の右端である。庫裏の左前には八角堂がある。

羅漢堂(五百羅漢)
本寺の北側にある。木造の羅漢は全国でも珍しい。安永4年(1775年)に実聞・実名という兄弟の僧によって創建された。高さ4丈の釈尊を中心に回廊にほぼ等身大の五百羅漢が安置され地元では「羅漢さん」の名で親しまれている。1915年(大正4年)の火災で焼失し、その後1922年(大正11年)に再建したのが現在の堂で、3度目の復興である。拝観料¥200。

第二十三番札所 薬王寺 (美波町)

薬王寺(やくおうじ)は、徳島県海部郡美波町奥河内にある寺院。四国八十八箇所霊場の第二十三番札所。医王山(いおうざん)、無量寿院(むりょうじゅいん)と号す。宗派は高野山真言宗、本尊は薬師如来で厄除けの寺として知られる。

本尊真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

ご詠歌:皆人の 病みぬる年の 薬王寺 瑠璃の薬を 与えましませ


寺伝によれば、神亀3年(726年)に聖武天皇の勅願により行基が創建したという。弘仁6年(815年)には平城上皇の勅命によって空海(弘法大師)が本尊として薬師如来を彫り再興したとされる。

文治4年(1188年)火災により堂塔を焼失した。この時に本尊は奥之院の玉厨子山に自ら飛んで焼失を逃れたという伝説がある。その後、後醍醐天皇により堂塔が再建された。本尊が新たに彫られたが、元の本尊もこの時に飛んで帰り後ろ向きに厨子に入り自ら厨子を閉じたとされ「後向き薬師」と称される。元の本尊は以後秘仏となった。このため、この寺には本尊が二体ある。

嵯峨天皇、淳和天皇などからの信仰は篤く、歴代天皇が厄除け祈願のため勅使を下向させている。嘉禄2年(1226年)には土御門上皇が訪れた。徳島藩主の蜂須賀家から寺領を賜っている。

現在の本堂は明治41年(1908年)に再建されたものである。阿南室戸歴史文化道への指定、とくしま88景への選定を受けている。

国道に面して立つ単層の仁王門を入ると左手から石段が始まる。33段の女厄坂の途中右手に鐘楼があり、石段が終わる絵馬堂を通って42段の男厄坂につながる。上りきったところに本堂が建つ。本堂から左に進むと大師堂があって、その向かいに十王堂と地蔵堂がある。本堂の裏には肺大師があり、右手の還暦厄坂を上ると本寺の象徴と言ってもよい瑜祇塔が特異な姿を見せている。瑜祇塔の階下は戒壇めぐり、1階は空海の生涯を描いた高野大師行状図画を展示している。見学は有料である。なお、納経所は石段を下りて、仁王門に向かって右手にある。

第四番札所 大日寺 (板野町)

大日寺(だいにちじ)は徳島県板野郡板野町にある東寺真言宗の寺院。四国八十八箇所霊場の第四番札所。黒巌山(こくがんざん)遍照院(へんじょういん)と号する。本尊は大日如来。別名、黒谷寺。

本尊真言:おん あびらうんけん ばざらだどばん

ご詠歌:眺むれば 月白妙の 夜半なれや ただ黒谷に 墨染めの袖

寺伝によれば空海(弘法大師)がこの地での修行中に大日如来を感得、一刀三礼して1寸8分の大日如来像を刻み、これを本尊として創建したと伝えられる。この地が三方を山に囲まれ黒谷と呼ばれていたところから黒巌山とし、本尊より大日寺と号したという。

荒廃と再興を繰り返したが、徳島藩5代藩主蜂須賀綱矩の帰依がつよかったため江戸時代中期の宝暦(1751年 - 1763年)頃には堂塔の大修理が行われた。1998年から住職を務める真鍋俊照は仏教美術学者として著書多数あり、四国大学教授である。

重層で上層を鐘楼とした山門を入ると左手の池の先に手水鉢があり、正面奥に本堂が建てられている。本堂右手にある回廊を、安置されている観音像を鑑賞しながら進むと大師堂の横に出る。納経所は大師堂の向かい側にある。

第三番札所 金泉寺(徳島県板野郡板野町)

金泉寺(こんせんじ)は、徳島県板野郡板野町にある高野山真言宗の寺院。四国八十八箇所霊場の第三番札所。亀光山(きこうざん)釈迦院(しゃかいん)と号する。本尊は釈迦如来で、脇侍に薬師如来・阿弥陀如来を安置する。

本尊真言:のうまくさんまんだ ぼだなん ばく

ご詠歌:極楽の たからの池を おもえただ こがねの泉 澄みたたえたる

寺伝によれば天平年間(729年 - 749年)に聖武天皇の勅願により行基が本尊を刻み、金光明寺と称したという。弘仁年間(810年 - 824年)に、空海(弘法大師)が訪れた際に、水不足解消のため井戸を掘り、黄金井の霊水が湧出したことから寺号を金泉寺としたという。

亀山法皇(天皇在位1259〜1274)の信仰が厚く、京都の三十三間堂をまねた堂を建立、千躯の千手観音を祀った。また、背後の山を亀山と名付け山号を亀光山と改めた。また、『源平盛衰記』には、元暦2年(1185年)に源義経が屋島に向かう途中本寺に立ち寄ったとの記載がある。

1582年(天正10年)には長宗我部元親による兵火にて大師堂以外の大半の建物を焼失たが、建物はその後再建され現在に至る。境内からは奈良時代の瓦が出土しており、創建は寺伝のとおり奈良時代にさかのぼると推定される。

重層で朱塗りの山門を入り小さい橋を渡ると左手に手水鉢がありその後に鐘楼・慈母観音がある。向かいに観音堂がありその前に修行大師像が立つ。正面に本堂が建ちその左に護摩堂が、手前右手に大師堂がある。大師堂の右奥に黄金井の井戸と閻魔堂がある。手水鉢の場所から奥へ入ると納経所があり、その手前に弁慶の力石が置かれている。

金泉寺より西へ約3km、大日寺へ向かう遍路道の途中にある。地元では「那東のお不動さん」として親しまれている。本尊は弘法大師が刻んだと伝える。また、納経の墨書は刷毛喜梵字といわれるもので、全国的にも珍しく四国ではここだけである。

第二番札所 極楽寺 (鳴門市)

極楽寺(ごくらくじ)は徳島県鳴門市大麻町にある高野山真言宗の寺院。四国八十八箇所霊場の第二番札所。日照山(にっしょうざん)無量寿院(むりょうじゅいん)と号する。本尊は阿弥陀如来。

本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん

ご詠歌:極楽の 弥陀の浄土へ 生きたくば 南無阿弥陀仏 口ぐせにせよ

寺伝によれば、奈良時代(710〜784)、行基の開基という。弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がこの地での三七日(21日間)の修法で阿弥陀経を読誦したところ満願日に阿弥陀如来の姿を感得したため、その姿を刻んで本尊としたといい、この阿弥陀如来の後光は遠く鳴門まで達し、魚が採れなくなったため、困った漁民たちが本堂の前に山を築いて光をさえぎったということから「日照山」と号するとされる。

天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火により焼失。万治2年(1659年)に阿波藩主によって再建される。

重層の朱塗りの山門を入って右へ進むと右手に手水鉢がある。この先を左に折れると、石段手前に仏足石がありその右手に一願水掛不動尊と観音堂がある。石段を上がった左に薬師堂、その後に長命杉がある。正面奥に本堂があり、その右に大師堂がある。

第一番札所 霊山寺 (鳴門市)

霊山寺(りょうぜんじ)は徳島県鳴門市大麻町にある高野山真言宗の寺院。竺和山(じくわさん)一乗院(いちじょういん)と号する。釈迦如来を本尊とする。とくしま88景に選定されている。

四国八十八箇所霊場の第一番札所である。第一番ということで遍路を始めようとする人は本寺を起点とする場合が多いため、巡礼装束である白衣や金剛杖、菅笠、納経帳、掛け軸など様々な巡礼用品を揃えることができる売店が本堂横と駐車場にあり、遍路初心者には遍路作法なども伝授している。

本尊真言:のうまくさんまんだ ぼだなん ばく

ご詠歌:霊山の 釈迦の御前に めぐりきて よろずの罪も 消えうせにけり

寺伝によれば奈良時代、天平年間(729年 - 749年)に聖武天皇の勅願により、行基によって開創されたという。

弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がここを訪れ21日間(三七日)留まって修行したという。その際、天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が仏法を説いている姿に似た様子を感得し天竺の霊山である霊鷲山を日本、すなわち和の国に移すとの意味から竺和山霊山寺と名付け第一番札所としたという。本尊の釈迦如来は空海が刻んだもので左手に玉を持った坐像である。

室町時代には三好氏の庇護を受けており、七堂伽藍の並ぶ大寺院として阿波三大坊の一つであったが、天正年間(1673年 - 1693年)に長宗我部元親の兵火に焼かれた。その後徳島藩主蜂須賀光隆によって再興されたが明治時代の出火でまた多くの建物を失った。本堂と多宝塔以外は近年の再建である。

札所番号
寺伝その他の言い伝えでは空海(弘法大師)が弘仁6年(815年)に四国霊場を開き、札所と札所番号を定めたことになっているが、これは史実ではない。四国は奈良時代から山岳信仰(後の修験道)の修行地で、空海も渡唐前には私度僧として修行のために故郷でもある四国で修行をしたが、唐から戻って後、特定の八十八箇寺を札所として定めたことはなく、後の人々が空海ゆかりの寺々を霊場に定めたものと推定される。実在の人物としての空海は、弘仁年間には都で密教の普及に努めていた。

江戸時代に入り庶民による霊場巡礼が盛んになると、四国を修行した僧などが案内書を出版するようになる。そのうちの一人が大坂で四国邊路道指南(しこくへんろみちしるべ)を出版した真念であり、この真念がはじめて八十八箇所を特定し札所番号を定めた。当時大坂から四国へ渡るには淡路島を経由し鳴門から四国入りするのが一般的であったので、鳴門の撫養(むや)の港に最も近い霊山寺を第一番札所と定めたと推測される。

阿南・日和佐周辺の観光スポット 薬王寺など

大浜海岸(徳島県海部郡美波町日和佐浦)
アカウミガメ(国の天然記念物)の産卵で知られる、全長約500mの砂浜。産卵の様子は5〜8月の日没後に見られることがあるが、係員の指示に従って見学すること。

貝の資料館モラスコむぎ(徳島県海部郡牟岐町大字灘字下浜辺198-1)
世界中の珍しい貝や貝の化石約2000点を展示する資料館。木造のユニークな外観は巻き貝と二枚貝をイメージしたもの。巨大なオオジャコガイ、アンモナイトの化石は必見だ。館内の漁師さんの水族館には大小45台の水槽を設置。地元漁師が捕まえた海の生き物100種類と、生きた化石といわれるオウムガイなどを展示している。ミュージアムショップではインテリア用の貝を販売。所要30分。

蒲生田岬(徳島県阿南市椿町)
紀伊水道に突き出た四国最東端の岬。蒲生田大池の駐車場から遊歩道で行ける蒲生田岬灯台からは伊島、前島、棚子島などが一望できる。

高の瀬峡(徳島県那賀郡那賀町木頭北川)
剣山国定公園の南側、那賀川の源流域にある典型的なV字渓谷。四季を通じて自然美を楽しめるが、特に10月下旬〜11月上旬にかけて渓谷を黄金色に染める紅葉は絶景。この時期にはレストハウス平の里(時間:8時30分〜17時、休み:期間中無休)がオープンする。

千羽海崖(徳島県海部郡美波町)
高さ200m前後の海蝕崖と、美しい松林が約2kmに渡って直線的に続く景勝地。室戸阿南海岸国定公園の特別保護地区に指定され、特に千羽ケ岳付近で見られる垂直の断崖が見ものだ。整備された自然歩道の途中にある通り岩休憩所からは、下が洞穴になった通り岩が見られる。

太龍寺(徳島県阿南市加茂町龍山2)
793年(延暦12)、弘法大師の創建と伝わる古寺。四国霊場第21番札所。急勾配の参道で遍路泣かせの難所といわれていたが、現在は全長2775mの太龍寺ロープウェイ(料金:往復2400円、時間:7時20分〜17時(冬期は8時〜)、無休)が標高600mの山頂までを10分で結ぶ。

津峯公園(徳島県阿南市津乃峰町)
標高284mの津峯山一帯にある公園。阿波の松島と呼ばれる橘湾を一望。8合目までは津峯スカイラインが通る。駐車場から山頂付近へは陣ケ丸遊歩道があり、神明の窟など5つの岩窟や揺すると音の出る揺るぎ岩(天然記念物)が見られる。山頂へは津峯スカイライン(通行:往復600円)が通じている。

轟の滝(徳島県海部郡海陽町王余魚谷)
海部川上流にある四国有数の滝。上流の不動滝、鳥返し滝など大小多数の滝も含め、迫力ある景観が続く。夏と秋には祭りがあり、夏は龍王寺から、秋は轟神社から、滝壺に神輿[みこし]ごと入る神事も行われる。周辺には遊歩道が整備されている。

日和佐うみがめ博物館カレッタ[大浜海岸](徳島県海部郡美波町日和佐浦370-4)
大浜海岸沿いに立つ施設。ウミガメの生態や進化の歴史が学べ、大浜海岸を模した水槽では子ガメを観察できる。感動的な産卵の映像を見ることのできるハイビジョンシアターは必見。屋外の水槽では1mを超えるウミガメも飼育している。

薬王寺(徳島県海部郡美波町奥河内字寺前285-1)
815年(弘仁6)の開基と伝わる四国霊場第23番札所。本堂へは女厄坂33段、男厄坂42段の石段があり、厄年の参拝者が1段ごとに1円玉を置いて登る姿が見られる。さらに、男女厄[だんじょやく]坂61段を登ると1964年(昭和39)に四国霊場開創1150年を記念して建てられた瑜祇塔[ゆぎとう]があり、内部には宝物展示室や地下の戒壇巡りなどがある。

徳島県北部の観光スポット2 奥祖谷二重かずら橋など

雨乞の滝(徳島県名西郡神山町神領)
雌滝,雄滝がある。滝をさかのぼると古刹,高根悲願寺がある。雨乞の滝駐車場から徒歩30分ぐらい急峻な坂道を登る。途中にうぐいす滝、不動滝、地獄淵、もみじ滝、観音滝がある。

明王寺しだれ桜(徳島県名西郡神山町下分字東寺)
樹齢70年と60年の2本のしだれ桜が、咲き乱れる。開花時期に合わせて、明王寺しだれ桜まつりが開催される。物産販売、餅つきを行う。桜の木の下で、寄井座による人形浄瑠璃上演や、創作ダンスが催される。

百間滝(徳島県勝浦郡上勝町大字生実)
水量が豊富で,渓谷に落下する瀑布はまれにみる壮観さがある。

雲早山(徳島県名西郡神山町)
自然林があり,眺めがよい。中級者向け登山道剣山スーパー林道の雲早山登山口から徒歩片道70分〜90分で頂上へ到着。360度のパノラマが楽しめます。(剣山、高城山、讃岐山脈、瀬戸内海、紀伊水道など)

道の駅貞光ゆうゆう館(徳島県美馬郡つるぎ町貞光字大須賀11-1)
1階には食事や会議等にも利用できる多目的ホール、2階3階は一部吹き抜けで開放感たっぷりのレストランになっていて、地域の食材をふんだんに使ったメニューが楽しめます。シンボルタワーは地上23mの展望台から吉野川の流れや剣山が展望でき360度の眺めが最高です。

忌部神社(御所神社)(徳島県美馬郡つるぎ町貞光字吉良)
阿波忌部の祖神天日鷲命をまつる。忌部神社の横に吉良のエドヒガン桜(県指定天然記念物)がある。

貞光ゆうゆうぱーく(徳島県美馬郡貞光町大須賀11-1)
吉野川河川敷に整備された約3万6000平方メートルの野外スポーツ施設。県内ではココだけというパークゴルフは18ホールあり、道具は貸出し無料。サッカー場2面、ゲートボール場3面、ゴムチップでできた1周500mのジョギングコースもある。四季折々の花を見ながら楽しもう。河原ではキャンプもOK。
施設使用料は全てタダ!吉野川横でスポーツ三昧

別所の大クス(徳島県美馬市脇町字別所)
県下のクス巨樹番付第6位。樹下には狸の伝説で有名な楠藤兵衛のほこらがある。県指定天然記念物。

小星公園(徳島県美馬市脇町字小星)
ミニ八十八ヶ所参拝コース、こども広場、ツツジ・桜の名所。

東福寺(徳島県美馬郡つるぎ町貞光字木屋)
精進料理(要予約)。貞光川の渓谷を見下ろす高台にある。絵画・彫刻等多数の宝物館有り。季節の材料を使った精進料理が二の膳で味わえる。

祖谷定期観光バス(徳島県三好郡井川町西井川311-2)
レトロなボンネットバスに乗って、祖谷の秘境巡りに出かけよう。JR阿波池田駅を発着点に、大歩危峡舟下り、ラピス大歩危、平家屋敷民俗資料館、かずら橋、祖谷渓谷の小便小僧など盛りだくさんなコースだ。山深き祖谷の自然の雄大さと厳しさを体感しよう。昼食付きで、施設入館料などは料金に含まれている。
眺望絶景の祖谷街道をボンネットバスで巡ろう

箸蔵寺(徳島県三好市州津蔵谷1006)
箸蔵山の広大な寺域に樹木がうっそうと茂り、30余の伽藍が軒を連ねる。霊場番外札所として参詣は10万を数える。

諏訪公園の桜(徳島県三好市ウエノ)
吉野川河畔の丘にある公園で見晴らしが良く、桜の名所としても知られている。

吉野川遊園地(徳島県吉野川市鴨島町西麻植)
遊園地のシンボルであり、四国最大級の大きさを誇る観覧車「ビッグドリーム」からは、園内だけでなく徳島市内が一望でき人気。他にもスピード感あふれる「ジェットコースター」、スリル満点の「グレイトポセイドン」、定番「メリーゴーランド」など小さな子供から大人までが楽しめる施設がいっぱい。自然が豊富な園内では、鯉が放流してありエサをあげることもできる。

奥祖谷二重かずら橋(徳島県三好市東祖谷菅生)
約800年前、讃岐志度の浦の戦いに敗れた平家一族が再興を期して剣山、平家の馬場での訓練に通うため架設したと伝わる吊橋。長さ約42mの男橋と長さ約20mの女橋が架かる。

小便小僧(徳島県三好市池田町松尾)
祖谷渓にある高さ約200mの絶壁に突き出た岩に立つ像で、祖谷渓のシンボル。見下ろせば足がすくむほどで、昔の人々が度胸だめしをしたといわれている。周辺は紅葉の名所。

徳島県北部の観光スポット1 雲辺寺〔第66番〕など

剣山(美馬市木屋平・那賀郡那賀町・三好市東祖谷)
石鎚山に次ぐ四国第2の高峰。周辺には1800m級の山々が並ぶ。古くから山岳信仰の霊峰としても知られ、原始林が姿を残し、高山植物の群生地もあり四季折々の変化が楽しめる。1954.7m

大轟の滝(所在地:那賀郡那賀町沢谷(木沢地区))
落差約20mから3段に流れ落ちる様は豪快である。一帯の釜ヶ谷峡は新緑から紅葉の時期まで四季を通じて美しい景観を見せる。

美郷の源氏ホタル(所在地:美馬郡つるぎ町一宇)
一宇には、多くの巨樹・巨木が点在し、日本でも有数の巨樹の里として知られるようになっています。中でも、「赤羽根大師の大エノキ」は幹周りが日本一とされ、国指定天然記念物となっています。
幹回り8.7m、推定樹齢800年。

大歩危峡遊覧船(所在地:三好市山城町西宇1520)
吉野川が四国山脈を横切るところに結晶片岩が水蝕されてできた渓谷は千態万様の奇観を見せている。深い渓谷と含礫片岩(徳島県指定天然記念物)、四季折々の渓谷美を堪能できます。

四国三郎の郷(所在地:美馬市美馬町字境目39-10)
西日本有数の規模を誇るアウトドア総合施設。オートキャンプ場の他、コテージ棟や炊飯棟、バーベキューサイトを完備。

ラフティング(所在地:三好市山城町 大歩危・小歩危)
日本三大激流の一つに数え上げられる四国吉野川。この吉野川の小歩危セクションをメインに下る。3mを超える大波や2mの落ち込み等迫力、スリル満点!途中ゆるやかな場所で泳いだり、高い岩の上から飛び込んだりイベント盛りだくさん。お昼のアウトドアランチ、着替え後の温泉入浴も料金に含まれる。徳島で1日本格的外遊びラフティングで激流体験

祖谷のかずら橋(所在地:三好市西祖谷山村善徳)
平家一族の哀話を秘める、秘境“祖谷”にあるかずら橋。シラクチカズラ(重さ約5トン)で作られたもので、長さ45m・幅2m・水面上14m。昔は深山渓谷地帯の唯一の交通施設であった。3年毎に架替えが行われる。
(昭和30年2月3日 国指定民俗重要文化財)

うだつの町並み(所在地:美馬市脇町南町)
町並みには、最も古い建物、田村家住宅[宝永8(1711年)年の棟札がある]をはじめ、寛政年間の豪商たちの家が現在も軒を連ねている。「うだつ」と呼ばれる防火壁が家々にあがっており、往時の商人の勢いをしのばせる。
(昭和63年12月 国重要伝統的建造物群保存地区に選定)

雲辺寺〔第66番〕(所在地:三好市池田町白地)
海抜600mの太龍寺山の山頂近くにあり「西の高野」と呼ばれ真言宗準別格本山の格式をもつ名高い寺である。四国霊場第21番札所で792(延暦11)年、弘法大師の創建と伝えられている。

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